TVアニメ「BAKUMATSU」イキザマぶろぐ

TVアニメ「BAKUMATSU」公式ブログです

カテゴリ: キャラクター紹介

本日は新撰組三番隊組長・斎藤一をご紹介
BAKUMATSUはクールな佇まいで無口な印象がありますよね
剣の腕前はバツグンで、冷静に物事を観察する鋭さ、そして報・連・相ができる男です無限斎が怪しい…と気づいたときも、まずは副長に報告しました



斎藤一と言えば、数年前に新たな写真が見つかりニュースになりましたね
生まれや経歴ははっきりしない部分も多いのですが、大正4年、71歳まで生きました。

出身は江戸、年齢は沖田総司と同い年か少し下くらいと言われています。
試衛館メンバーと交流があったという説もありますが、浪士組には参加していなかったようで、京都で隊士を募集した際に新撰組に加わったとされています。
若く初期メンバーでもなかった斎藤一ですが、剣の腕前を買われて重要なポジションを任されたのでしょうね

大政奉還後、斎藤一も新撰組として幕府軍と共に戦います。
土方歳三がケガを負ったときには隊長として新撰組を指揮していました
厳しい状況の中で斎藤一はその戦いが終わるまで第一線で活躍し、そして生き延びたのです。

明治維新後は警視庁の警察官になります。
西南戦争にも参加し、西郷隆盛軍とも戦いました。
警視庁を退職した後は博物館の看守をしながら、学生に剣術を教えていたそうです。
その後も65歳頃まで女学校の庶務や会計などしながら働いたとの事です

剣を習ったりしていた学生たちは新撰組の斎藤一だと気づいていたのでしょうか?警察官の頃から名前を藤田五郎と改めていたので、もしかしたら知らずに習っていたのかもしれませんね
只者ではないおじいさんがいるよ!と噂にはなってそうです

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BAKUMATSU第2期でもクールに戦ってくれるのでしょうか
もっと喋っている姿も見たいですね

本日は新撰組一番隊組長・沖田総司をご紹介
BAKUMATSU第1期では、ニコニコ明るい笑顔を見せる場面と、戦闘となるとその表情が一変する姿が特徴的でした

幕末を生きた歴史上の人物では近藤勇、土方歳三と共に人気の沖田総司。
歴史的にはどうだったのかと言うと…やはり天才剣士だったようです


沖田総司は土方歳三や近藤勇に比べて謎が多い人物のようで、はっきりとした生年月日が分かっていません
年齢は土方歳三の7~9歳ほど年下だったようです。江戸の白河藩屋敷(現在の東京都港区西麻布)で生まれたとされています。
幼い頃に両親を亡くしお姉さんに育てられますが、9歳頃天然理心流道場・試衛館の内弟子となり、家を出ます。
12~13歳の頃には近藤勇と共に天然理心流の看板を背負い出稽古へ行くほど上達し、19歳頃には天然理心流免許皆伝となり塾頭に近藤勇の一番弟子として活躍します
10代の頃から既に剣術の才能を発揮していたようですね
ちなみに、北辰一刀流(坂本龍馬と同じ流派)も免許皆伝だったという記録もあるようです

剣術に関しては試衛館メンバーは年下の沖田総司に子供扱いされるほどで、稽古も厳しかったみたいです
普段は陽気で子供好きな人当たりの良い青年だったようです

20歳頃に近藤勇、土方歳三と共に浪士組に参加し京都へ
新撰組では一番隊組長として重要な任務を次々とこなしていくようになります
新撰組を有名にした池田屋事件でも近藤さんと一緒に池田屋に乗り込みました

しかし第一線で活躍できたのはほんの数年ほど。
肺結核にかかってしまい徐々に体調も悪化…
療養生活を送るようになりますが、当時肺結核は不治の病だった為、回復する事なく25年という短すぎる人生を終える事になります
きっと、とても辛くて悔しかったと思います。

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BAKUMATSU第1期では随所でその天才ぶりを発揮していました
第2期でもその明るさと天才剣士の二面性を存分に見せてほしいですね

本日ご紹介するのは新撰組局長・近藤勇
BAKUMATSU第1期では、新撰組を守る為に無限斎に仕える事を決断します
監察方・山崎烝が慶喜の為に新撰組を離れようとした際には、表向きは粛清した事にして逃したりもしました。
仲間には優しく、新撰組の敵とみなした者には厳しい、とっても頼れるリーダーです

歴史的にはどんな人物だったのでしょうか。

生まれは武蔵国多摩(現在の東京都調布市)、年は土方歳三より1歳年上になります。
近藤さんも歳三と同様、農家の生まれです。
15歳のときに2人の兄と共に、天然理心流剣術道場・試衛館に入門します。
一生懸命稽古に励み、剣術の腕をあげていきます
27歳になると、その腕を見込まれ、天然理心流剣術宗家四代目襲名
襲名披露の野試合には、土方歳三沖田総司も参加したそうです

その後、浪士組に参加し試衛館の仲間と共に京都へ出発したとき、近藤勇は28歳でした。武士になるチャンスという事と共に、多摩は徳川家の管轄エリアだったので、幕府の為に、将軍様を守る仕事がしたいという気持ちもあったのかもしれません。

実際、浪士組を発案した清河八郎が、浪士組を結成した真の目的は尊王攘夷であると告げた際にも、近藤さんたち試衛館メンバーは「幕府の為に働きに来たんだ!」と反発
近藤さんたちは江戸に戻る清河一派と別れ、京都の治安維持を目的とする新撰組を結成する事になります

土方歳三や沖田総司といった同郷の頼れる仲間と共に京都で活躍

33歳の頃には、新撰組は隊士全員が幕臣に取り立てられる事になり、局長の近藤勇は旗本に大出世旗本は正式な武士の身分です。農民出身の剣術が得意だった一人の青年が、幕府の為に働きそれが幕府に認められ武士になったという超サクセスストーリーなのです

しかし、出世したのもつかの間、倒幕の流れは加速していき、新撰組の終わりも近づいてきます。
局長の近藤勇が新政府軍に捕まってしまうのです。
元農民という事で武士として切腹をさせてもらう事はできませんでしたが、自らの命を差し出すかわりに、一緒に捕まってしまった隊士2名を釈放してもらう事ができました
35年という短い人生の幕を閉じる事になります。
その後、生き延びた隊士2名は、幕府軍に合流して戦ったそうです。
いざという時には自分を犠牲にして部下を守る頼れるリーダーでした。

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BAKUMATSU第1期のラストでは高杉が無限斎を倒したので、新撰組はもう無限斎のもとで働く必要は無くなるはずですが、第2期では新撰組はどうなるのでしょうか…
BAKUMATSU第2期も近藤さん、そして新撰組の活躍にもご注目ください

本日は新撰組副長・土方歳三をご紹介します
新撰組という幕末を代表する組織でナンバー2を務めた男・土方歳三

BAKUMATSU第1期では、「もう一つの幕末」で新幕府に仕えていました。
局長の為、新選組の為、隊士に厳しくするシーンもあった土方歳三
歴史的にはどのような人物だったのでしょうか?

まずはこれだけは伝えたい土方歳三の魅力TOP5!!
・武士よりも武士らしく生きたところ
武士の終わりの時代に、農民出身の男が最期まで武士らしく生きた様は、生粋の武士が嫉妬するほどカッコイイのではないでしょうか!?

・嫌われ役に徹しているところ
組織の為、近藤勇を立たせる為に、自らは嫌われ役を買って出ています。
組織のトップが汚い仕事をしたり、嫌われ役になったらダメですからね。
男の人って1番を目指すものでは!?…そう思っていた時期もありました。
2番手の美学です。
(箱館戦争の時にはまわりから慕われていたようなので、根はいい人なんでしょうね)

・モテすぎて困っていたほどイケメン
仕事は厳しかったけどプライベートでは優しかったのでしょうか??
ドキっとするエピソードです。

・趣味:俳句
副長が部屋にこもって何か画策しているのでは…と思ったら俳句!?
このギャップはまずいです。

・好きな食べ物はたくわん
庶民派


こんな土方歳三の史実上の人生をご紹介します

出身は武蔵国多摩(現在の東京日野市)。裕福な農家に10人兄弟の末っ子として生まれました。
10代の頃は商店で下働きをしたり、実家秘伝の石田散薬の行商をしながら剣術道場で腕を磨いていきました。
黒船来航で幕府が混乱する中、20代前半まではごく平凡な生活を送っていたようです。

転機が訪れたのは25歳の頃、歳三の義理の兄・佐藤彦五郎の道場に来ていた近藤勇と出会い、天然理心流に入門。市谷の天然理心流の道場・試衛館にも出入りするようになり、試衛館に弟子入りしていた沖田総司とも交流するようになったようです。
このときの試衛館の仲間が後の新撰組のコアメンバーとなっていきます

そして歳三が27歳のとき、ビッグチャンスが巡ってきます
江戸幕府第14代将軍を警護をする為の浪士組のメンバー募集のニュースが飛び込んできます。応募資格は腕に自信があれば身分は問わない!というもの。
試衛館のみんなで応募し、京都に行くことになります
この浪士組が後の新撰組となります。

ここからの活躍はご存知の方も多いかと思います
新撰組の厳しい規律「局中法度」を作り、それをやぶった隊士を粛清し「鬼の副長」と恐れられました
隊士が増えて屯所が手狭になった時には副長の歳三自ら西本願寺と交渉をした…というエピソードも
京都大火を防いだと言われる池田屋事件で、京都での新撰組の存在は大きくなっていきます

薩長同盟以降、倒幕の流れは止める事ができず、幕府と共に新撰組も追い込まれていきます
かつての試衛館時代の仲間も失い、新撰組も幕府も崩壊していく中、歳三は必死に抗い戦います。
そして北海道・函館で仲間を救う為に出撃、馬上で指揮をとっていた際に流れ弾に当たり命を落とします。新撰組は事実上ここで消滅となります
このとき歳三35歳
最後まで信念を貫き新撰組として生きました。

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BAKUMATSU第1期のラストは土方歳三ファンは不安になる終わり方でしたね
無限斎は倒しましたが、第2期では新撰組はどうなるのでしょうか??
気になる所ですが、放送開始までお待ちください…

本日ご紹介するのは岡田以蔵
岡田以蔵は「幕末の四大人斬り」の一人、「人斬り以蔵」として有名ですね。
人斬りで有名とは、ちょっと穏やかじゃないですね

BAKUMATSUでは坂本龍馬と行動を共にし、黙々と仕事をこなしていました、史実ではどのような人物だったのでしょうか?
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岡田以蔵は坂本龍馬と同じく土佐藩出身。年齢は龍馬より2歳年下だったそうです。

以蔵の人生には、同郷の武市半平太(たけちはんぺいた)という一人の男が大きく関わってきます。
武市は龍馬とは遠い親戚で、身分は以蔵よりも高く、土佐藩を尊皇攘夷へ導いた人物。高杉や桂とも交流があったそうです

以蔵が18歳の頃、その武市が開いた剣術道場に入門しました
ここから武市との付き合いが始まり、以蔵と武市は師弟関係に。
武市と共に剣術修行のために江戸へ遊学し、その後も中国・九州地方を視察…
武市からの援助もあり、修行に勤しんだ以蔵は剣術の腕を磨いていきました

武市はその後、江戸で「土佐勤王党」を結成します。
尊皇攘夷(天皇を守り、海外の勢力を追い出そうという思想)を掲げた武士の集団で、岡田以蔵はもちろん、結成当初は坂本龍馬も参加していました。

24歳頃になると武市と共に京都へ。
この頃から京都で攘夷派の人たちと共に「天誅」と称して暗殺を行うようになっていきます。
天誅…とは天にかわって罰を与えるという意味ですが、実際にやったことは暗殺です
武市に金銭的な援助もしてもらっていた以蔵は、命じられるままに仕事をこなしていきました。
師に認めてもらう為か、それしか生きるすべが無かったからなのか…当時の以蔵の気持ちを知る事はできませんが、土佐勤王党として多くの暗殺に関わっていきました。

暗殺を生業として生きていた以蔵ですが、勝海舟護衛をしていた時期があったようです
これを依頼したのは坂本龍馬と言われており、龍馬は一体何を思って「護衛」という仕事を任せたのでしょうか…
「武市の為に」と暗殺を繰り返す以蔵に、別の生き方を提示していたのでしょうか…?
以蔵の愛刀は坂本龍馬が贈ったものという説もあるそうで、何かと気にかけていたのかもしれません。


京都では土佐勤王党含む攘夷派の取り締まりが厳しくなり、以蔵も捕らえられてしまいます。
これを知った武市は心配するどころか思いっきり罵倒し、以蔵は拷問に耐えられず自白を繰り返していた為、「日本一の泣きみそ」とまで言われてしまいます。
さらには、自分たちに不利な自白をする以蔵に焦った武市が、以蔵を毒殺をしようとした…という説もあるそうで、これまでの以蔵の働きを思うと切ないエピソードです

その後、以蔵は28歳で亡くなり、以蔵の自白をきっかけに土佐勤王党も崩壊します。



君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後は 澄み渡る空
以蔵の辞世の句は、とても儚く美しい句でした。
人の命を奪う事は今も昔も絶対にダメですが、激動の幕末という時代に人斬りと呼ばれた人物なのに、悪人だったとは言い切れない生き方だったように感じてしまいます。
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BAKUMATSUの岡田以蔵は第2期も龍馬の傍にいるのでしょうか?
そして2人の関係性はどうなるのでしょうか??
ぜひご注目ください

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