本日ご紹介するのは岡田以蔵
岡田以蔵は「幕末の四大人斬り」の一人、「人斬り以蔵」として有名ですね。
人斬りで有名とは、ちょっと穏やかじゃないですね

BAKUMATSUでは坂本龍馬と行動を共にし、黙々と仕事をこなしていました、史実ではどのような人物だったのでしょうか?
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岡田以蔵は坂本龍馬と同じく土佐藩出身。年齢は龍馬より2歳年下だったそうです。

以蔵の人生には、同郷の武市半平太(たけちはんぺいた)という一人の男が大きく関わってきます。
武市は龍馬とは遠い親戚で、身分は以蔵よりも高く、土佐藩を尊皇攘夷へ導いた人物。高杉や桂とも交流があったそうです

以蔵が18歳の頃、その武市が開いた剣術道場に入門しました
ここから武市との付き合いが始まり、以蔵と武市は師弟関係に。
武市と共に剣術修行のために江戸へ遊学し、その後も中国・九州地方を視察…
武市からの援助もあり、修行に勤しんだ以蔵は剣術の腕を磨いていきました

武市はその後、江戸で「土佐勤王党」を結成します。
尊皇攘夷(天皇を守り、海外の勢力を追い出そうという思想)を掲げた武士の集団で、岡田以蔵はもちろん、結成当初は坂本龍馬も参加していました。

24歳頃になると武市と共に京都へ。
この頃から京都で攘夷派の人たちと共に「天誅」と称して暗殺を行うようになっていきます。
天誅…とは天にかわって罰を与えるという意味ですが、実際にやったことは暗殺です
武市に金銭的な援助もしてもらっていた以蔵は、命じられるままに仕事をこなしていきました。
師に認めてもらう為か、それしか生きるすべが無かったからなのか…当時の以蔵の気持ちを知る事はできませんが、土佐勤王党として多くの暗殺に関わっていきました。

暗殺を生業として生きていた以蔵ですが、勝海舟護衛をしていた時期があったようです
これを依頼したのは坂本龍馬と言われており、龍馬は一体何を思って「護衛」という仕事を任せたのでしょうか…
「武市の為に」と暗殺を繰り返す以蔵に、別の生き方を提示していたのでしょうか…?
以蔵の愛刀は坂本龍馬が贈ったものという説もあるそうで、何かと気にかけていたのかもしれません。


京都では土佐勤王党含む攘夷派の取り締まりが厳しくなり、以蔵も捕らえられてしまいます。
これを知った武市は心配するどころか思いっきり罵倒し、以蔵は拷問に耐えられず自白を繰り返していた為、「日本一の泣きみそ」とまで言われてしまいます。
さらには、自分たちに不利な自白をする以蔵に焦った武市が、以蔵を毒殺をしようとした…という説もあるそうで、これまでの以蔵の働きを思うと切ないエピソードです

その後、以蔵は28歳で亡くなり、以蔵の自白をきっかけに土佐勤王党も崩壊します。



君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後は 澄み渡る空
以蔵の辞世の句は、とても儚く美しい句でした。
人の命を奪う事は今も昔も絶対にダメですが、激動の幕末という時代に人斬りと呼ばれた人物なのに、悪人だったとは言い切れない生き方だったように感じてしまいます。
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BAKUMATSUの岡田以蔵は第2期も龍馬の傍にいるのでしょうか?
そして2人の関係性はどうなるのでしょうか??
ぜひご注目ください