本日ご紹介するのは桂小五郎桂小五郎も高杉晋作と同じく出身は長州藩(現在の山口県・萩市)
萩の藩校・明倫館で吉田松陰に学びました

その後、剣術修行の為に江戸へ遊学すると、江戸三大道場の一つと言われている練兵館に入門し、一年後には免許皆伝、塾頭を任されるまでになります
その腕前は江戸で評判になり、新撰組の近藤勇にも伝わっていたとか…

文武両道の桂小五郎、かっこいいですね

そして、幕末期の桂小五郎といえば、逃げの小五郎と呼ばれていました。
攘夷派の中心人物となった桂小五郎は、京都で新撰組に狙われるようになります
剣豪と呼ばれるほどの剣の腕前がありながら、とにかく逃げて逃げて逃げまくりました
桂の剣術が実戦向きではなかったという話もあるようですが、ここで死ねないという強い執念と、冷静に状況を見極める力で、幕末の京都で生き延びる事ができたのだと思います。

そして、長州藩の桂小五郎と、薩摩藩の西郷隆盛が、坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結びます。当時、薩摩藩と長州藩は犬猿の仲だったようですが、坂本龍馬のコミュ力、すごいですね
薩長同盟によって倒幕運動が加速し、明治維新へ動き出していくのです…。


BAKUMATSUで桂が新撰組に潜入していたときに名乗っていた名前を覚えていますか
木戸孝允(きどたかよし)と名乗っていましたが、明治維新後に実際に名乗っていた名前なのです

明治時代の桂小五郎こと木戸孝允の職業はなんと政治家
歴史の教科書でお馴染みの、五箇条の御誓文の作成や、廃藩置県政策などに関わりました。明治以降、病気に苦しんだ木戸孝允は45歳という若さでこの世を去ってしまいます

木戸孝允は、西郷隆盛、大久保利通とともに、維新の三傑と呼ばれています。

幕末を生き延び、明治時代の基礎を作った一人となった桂小五郎。
同郷の高杉晋作や、薩長同盟で手助けをしてくれた坂本龍馬が見ることができなかった新しい日本をしっかり支えてくれていました